国産第一号の夢
「鋳物は市内の鋳物師が作った。
水管や歯車の工作、取り付けは一切が自己流だった。
フレームとボディは樫材で、車輪のリムは鉄板を曲げて作った。
このように苦心に苦心を重ねて、翌37年4月にやっと完成した」
この一号車は、翌5月7日に試運転をしたが、タイヤに致命的な欠陥があったために成功したとはいえなかった。
発注主の森房造が計画したような、岡山-高梁間の50キロを10人乗りで毎日運転することはとうてい不可能だった。
結局、この車は実用化されずに終わった。
しかし森房造の企業家としての"夢"と、山羽虎夫の技術者としての苦心が結びついて生まれた蒸気自動車は、国産自動車第一号という名誉ある記録を作り、日本の自動車史に長く名をとどめることになった。
これが後の中古車トラック にまで影響を及ぼす「国産第一号車」です。