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2011年02月 アーカイブ

国産第一号の夢

「鋳物は市内の鋳物師が作った。

水管や歯車の工作、取り付けは一切が自己流だった。

フレームとボディは樫材で、車輪のリムは鉄板を曲げて作った。

このように苦心に苦心を重ねて、翌37年4月にやっと完成した」

この一号車は、翌5月7日に試運転をしたが、タイヤに致命的な欠陥があったために成功したとはいえなかった。

発注主の森房造が計画したような、岡山-高梁間の50キロを10人乗りで毎日運転することはとうてい不可能だった。

結局、この車は実用化されずに終わった。

しかし森房造の企業家としての"夢"と、山羽虎夫の技術者としての苦心が結びついて生まれた蒸気自動車は、国産自動車第一号という名誉ある記録を作り、日本の自動車史に長く名をとどめることになった。

これが後の中古車トラック にまで影響を及ぼす「国産第一号車」です。

ガソリン車第一号

蒸気自動車の国産第一号は山羽虎夫によって製作されたが、ガソリン自動車の国産第一号は、それより3年後の1907年(明治40年)に、東京・銀座の双輪商会の吉田真太郎と内山駒之助が作ったタクリー号だ、とされている。

吉田は明治35年に米国から自動車用のガソリンエンジンを2個持ち帰り、日本で最初の自動車販売店である双輪商会を作った。

さらに自動車の製造を思い立ち、内山と共に東京・木挽町に東京自動車製作所を設立した。

内山は技術的な才能にすぐれ、14歳の時に船や機械の技術を覚えるためにロシア領のウラジオストックに渡って、ある機械工場に雇われた。

そこに1台の自動車があり、その修理などを手伝いながら自動車の構造や運転を覚えた、という。

明治20年代の末ごろのことである。

いわば吉田は日本で初めての自動車販売、製造会社の経営者であり、内山は日本で初めての自動車の技術者だったといえよう。

この二人が今の中古トラックにまで受け継がれる大業を成したのだ。

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