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2011年03月 アーカイブ

自分の車「国民車」

昭和30年に通産省が策定した国民車構想は、それ自体は実らなかったものの、その後の乗用車の大衆化への幕開けの役割をつとめた、といえよう。

戦後の日本の自動車工業は、昭和30年に登場したトヨタ自動車工業(当時)のクラウンが一つの時代を画した、といわれている。

たしかにクラウンは戦後10年での日本の自動車工業の技術水準の高さを示すものである。

しかし用途はタクシーや法人用で、当初の価格は101万4,860円と大衆にはとても手の届かない"高根の花"だった(当時の大卒の初任給は約1万円)。

だからクラウンの登場は社会的に見た場合、せいぜい産業界、あるいは交通機関にとっての問題に過ぎない、といってもよい。

タクシーも法人用の自動車も戦前からあった。

ただ外車が国産車に代わっただけである。

これに比べ、国民車構想は、価格を25万円程度にし、とにかく一般大衆が所有できるようにしよう、というのだから、クラウンの登場とは全く社会的意味が違う。

タクシーのように一種の公共的交通機関、トラックや中古車トラックの業務用車としてあるのではなく、"自分のクルマ"を持つとなると、持った人間の個人的感情や人生観、家庭生活まで激変する。

事実、昭和40年以降に巻き起ったモータリゼーションの大波は、日本の社会構造や個人の生活様式をよくも悪くも大幅に変えた。

国民車構想は、結局、その時点では実現しなかったが、長い目で見た場合は卓見といえる。

"国民車"第一号

通産省の国民車構想から3年たった昭和33年3月3日、富士重工業は大人4人乗りの軽自動車『スバル360』を発表した。

値段は東京渡しで42万5,000円だった。

通産省の国民車構想による価格25万円に比べるとかなり高い。

しかし当時の乗用車としては破格に安く、一応"国民車"第一号として注目された。

当時はバスやタクシーなどの共用交通機関か、トラックや中古トラックなどの非乗用車しかなかったのだ。

主な仕様は次の通り。

全長1メートル99センチ、幅1メートル38センチ、重量385キロ、空冷式二気筒、総排気量356㏄、最高出力16馬力、燃費1リットル当たり26キロメートル、最高時速83キロメートル。

3月4日付の朝日新聞は「国民車市販第一号」という見出しで次のように報じた(大要)。

「値段や最高時速は通産省の国民車構想とかなり開いてはいるが、ともかく"国民車"と名乗るものの市販第一号である。

富士重工では『スクーターにはあきたらず、小型自動車は待ち切れない、という所得層をねらって、1年後の月産を500台におく』といっている」

しかし実際には売れ行きはすばらしかった。

富士重工によれば、翌34年は年産約5900台とほぼ予想通りだったが、35年には約1万5,500台と3倍近くに伸び、9年後の42年5月には累計50万台を超え、国産同一車種生産台数の当時の新記録を達成した。

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